* This story was inspired by Sia's "Snowman"
たくさんの木々の小枝をすり抜けて、きらきらした光がころがり落ちてくる昼下がりのこと。
たっぷりと分厚い雪のカーペットに、小さな足跡を付けながら、一匹の若いアカギツネが尾を揺らしながら歩いてきます。
彼女は、初めて見つけたきれいな沢のおいしい水をたらふく飲んで、軽い足取りで巣穴に帰るところでした。
ふと、雪を踏むリズミカルな音が途絶えました。大きな大きな杉の木の下で、きつねは首をかしげます。
「ありゃりゃ、ここだけ雪がたくさんある。まんまるいのがいくつも積み上がってるわ。不思議だわねぇ。」
それに、まんまるの至る所に、黒だの青だの、色々なものがくっついているではありませんか。きつねは興味津々で鼻を近づけてみました。
「……おい、触るなよ。」
急に目の前から声がしたので、きつねは驚いて飛び上がりました。
「うわっ、雪のかたまりが喋った!」
「俺は雪だるまってモンだ。そこらに落ちてる雪と一緒にするんじゃねぇよ。」
縦に重なった大きな丸い雪玉が三つ。きつねが両足で立ち上がっても、首にすら届きそうにないぐらい大きな大きな雪だるまでした。
細い金属で繋がっている二つの黒丸がこちらを見下ろしています。
「雪だるま? ここで、何してんのさ?」
「別に、何もしちゃいねぇよ。」
「することがないんなら、巣穴で寝てたらいいのに。こんなとこで立ってないでさ。」
「俺だって、好きで立ってるわけじゃねぇんだ。まったく、人間って奴ぁ、何考えてんだかな。こんなへんぴな場所に俺を作りやがって。」
不満そうに、雪だるまは言いました。
「雪だるまってぇのは、お前さんと違って、自由に動いたりはしねぇんだよ。俺の居場所は、いつだってこの木の下さ。」
「へぇ、そうなの。それじゃあ、ねずみを捕ったり、お花をつんだり、草っぱらに寝転がったりしたこともないんだ。」
「そうだぜ。日向ぼっこなんざ、もってのほかだ。」
「なんかカワイソウね。じゃあ、いつも何してんの?」
「チッ、同情なんかされたかねぇぜ」可哀想と言われて、雪だるまは、少し気分を害したようでした。「あれこれうるせぇメス狐だな、そろそろ巣に帰りな。ウロチョロされると、体温で溶かされちまいそうだ。」
「なによう。こう見えてもね、上等な毛皮を着てるんだから。」
軽快に駆け出し、思いきり転がって、盛大にあたりの雪を跳ね散らかしてみせて、きつねはぶるぶるっと全身を震わせました。雪の粉が舞い、あたりに柔らかい光が反射します。
「ほらね、ちょっと触ったぐらいじゃ溶かしたりなんかしないわよぅ。」べーっと舌を出して、じゃあまたね、と叫んで走り去って行きました。
やれやれ、と雪だるまはつぶやきました。
「……まったく、あんなに騒がしいのは初めてだぜ。」
またね、の言葉通り、きつねは再びやって来ました。それからというもの、彼女は雪だるまのもとに通うようになったのです。
「アンタってば、動けないんでしょ。少し分けてあげてもいいわよ。」
彼女は野ネズミや木の実をせっせと運んできましたが、もちろん、雪だるまはものを食べません。
「それならさ、これはどう? キレイでしょ。」
咥えてきた薄紫色のお花を雪の上に置き、首をかしげるきつねに、
「……まぁ、悪かねぇよ。」と返す雪だるまでした。
ぶっきらぼうな物言いだったけれど、きつねはなぜだか満ち足りた気持ちになりました。それで、来る日も来る日も、その可憐なお花をつんで来ては、彼の足もとに飾ってあげるのでした。
「ねぇ、アンタってすごく変わってるわね。そんな長くて太いヒゲを首の両側から垂らしてるし。」
「こいつはマフラーだ。ヒゲじゃねぇよ。」
「目にくっつけてる黒くて丸いものは、テカテカしてるし。」
「グラサンってんだ。こいつを付けてると、雪で光が反射してもまぶしくならねぇんだよ。」
「それに、青くて丸いキラキラを胸にいくつも付けてさ。」
「このボタンは……こいつで、敵の脳天をぶち抜いてやるのさ。」
きつねは目をぱちくりさせました。
「そんなもので、どうやって?」
「トラの子のボタンだが、しょうがねえ。特別に見せてやる。」
雪だるまが集中すると、きつねの耳には木々のざわめきが大きく聞こえました。ピンと張りつめた空気の中、「ハッ!」と短い叫びが響き渡った瞬間、すごい速さでボタンが打ち出されたので、きつねは思わず飛び上がりました。
ボタンは向こうの木に当たってコーンと大きな音を出し、葉に積もった雪がドサドサと落ちました。
「今のなにさ!? すごいじゃん、すごいすごい!」
ぴょんぴょん跳ねながら尻尾を振るきつねの目には、雪だるまのサングラスが得意げに光ったように見えました。
けれど、狙いをつけるのがどれほどうまくとも、彼は雪だるま。歩くことはできません。飛ばしたボタンはどこかへ転がって、それきりになってしまうのです。
それを聞いたきつねが素早く拾いに行って、くわえて来たボタンを胸に戻してあげました。
「こいつぁいいや。少しずつ練習して元の半分ぐらいに減っちまったが……お前さんがこうやって拾ってくれるんなら、残りの分は使い捨てにしなくて済むな。」
「もちろん、いつでも手伝うわよぅ。毎回探して、拾ってきてあげるね。」
ずっとそばにいてもいい、と言われたように感じて嬉しくなったので、きつねは前脚で胸を叩いてみせました。
毎日毎日、雪降る森を抜けて丘を越えて、きつねはやってきました。
ちょっと面倒くさそうな返事をしてみせることはあっても、雪だるまは、おしゃべりな彼女を追い返すことは一度もありませんでした。あちらの森のきつねたちの間で流行っている歌を聞かされるのも、なかなか悪くはないと思っていました。
ある寒い晩のこと。吹雪が強くなったのできつねは巣穴に帰ることができず、雪だるまの後ろに小さくなって身を隠しました。いくつかの石と杉の根っこ、それに彼の大きな体が、身を切るような風から守ってくれているのでした。きつねが持ってきた薄紫の花も、強い雪風ですっかりしおれていました。
長い夜でした。
雪だるまは、震えてなかなか眠れないきつねのために昔話をしてくれました。
──この世界に生み出された時、彼は今のように独りぼっちではありませんでした。足もとに、小さな雪うさぎが寄り添っていたのです。同じ雪で作られたもの同士、彼らはおたがいに心を通わせて、満ち足りた日々を過ごしていました。
ところが、幸せは長くは続きませんでした。
無邪気な子鹿の群れが、残酷にも、笑いながら小さな雪うさぎを踏みにじり、蹴り飛ばし、押しつぶして去って行きました。元の形を失った雪うさぎは、絶望と怒りで我を忘れた彼に
『お願い、あの子たちを恨まないで。』
そう言い残して、二度と喋らなくなりました。
「俺がそのことを思い出さなかった日は一日もねぇ。アイツらがもう一度ここを通った時、その時こそ、必ず復讐をしてやると誓ったのさ。」
「それで、ボタンをあんな風に飛ばせるように……。」
悲しそうな目をして、言葉を失ってしまったきつねに、
「……悪ぃな、眠る前にする話じゃなかったか。なぁに、悲しむこたねぇよ、これが俺の生きがいなんだ。変わった趣味だとでも思ってくれよ。さあ、目を閉じて、さっさと寝ちまいな。」と雪だるまは言いました。その声には、淋しさと優しさがにじんでいました。
来る日も来る日も、ずっと小鹿の群れを待ち続けている雪だるまを、きつねは複雑な気持ちで見守りました。復讐を果たすのが良いことだとはハッキリ断言できないけれど、かといって、憎むことで生きてきた彼を否定することもできません。
きつねは、今までほとんど幸せの中で生きてきました。生まれ故郷の山二つ向こうの森には、たくさんのものがありました。豊かなコナラの木々にはぐくまれた、たくさんのリスや野ネズミ。鈴のようにつらなるアケビ。宝石みたいなキイチゴ。たくさんの美味しいものに囲まれて、優しいパパぎつねとママぎつねの元で、何不自由なく育ったのです。巣立ちの儀式をしてからも、天敵に襲われたりひどい目にあったりすることなく、過ごしてきました。
そろそろつがいを見つける季節なのにずっと独り身でいるので、仲間のメスギツネに会うたびにからかわれる……なんて悩みも一応あるのですが、それでも、雪だるまの抱えたものの重さ、大きさに比べれば、どうということはありません。
ああ、彼の悲しみを癒すことができたら、どんなにいいだろう!
きつねは胸を痛めましたが、自分にできることはほとんどないことを知っていました。だから今までどおり、彼の足もとを花で飾っては、鳥のおしゃべりやモグラのうわさ話をおもしろおかしく語って聞かせたのでした。
日を追うごとに雪の粒は小さくなっていき、寒さも和らいできました。
雪だるまは、出会った頃よりも、ふた周り以上小さくなっていました。きつねが少し背伸びをすれば、彼の頭のてっぺんに手が届いてしまいそうなぐらいに。
「もうすぐ春か。俺に残された命も、あまり長くはねぇようだな。」
きつねは悲しい顔で黙っていました。
「仇も討てずじまい、か。このままじゃあアイツに顔向けできやしねぇな。」
雪だるまは空の向こうを見つめます。
遠く、遠く……彼方を指すその視線に、きつねはハッと息をのみました。
「そうだ。北極に行こうよ。」
尾をピンと立てて、輝く瞳で雪だるまを見上げます。
「太陽から逃げて、一緒に北極に行こうよ。私が連れて行ってあげるからさ。長生きさえすれば、そのうちカタキにだって会えるはずだよ。」
雪だるまは「何言ってんだ。そんな遠くまで、行けっこないだろ。」と笑いました。
きつねは「行けるわよ。絶対に連れて行ってみせるもん。」と頬をふくらませます。
森のきこり小屋から、きつねが手押し車とスコップを持ち出してきたのは、数日後のことでした。
「人間の物を持ってくるなんて、何考えてんだ。」雪だるまは焦りました。「見つかったら鉄砲で撃たれて殺されちまうぞ。」
「古くて使わなくなった分をこっそり借りてきただけだから、平気よ。」いつもクールな雪だるまが慌てるのが面白くて、きつねはケラケラ笑いました。「アンタもそんな顔、することがあるのねぇ。」
「そりゃあ……そんなことになっちまったら、寝覚めが悪いに決まってら。それに、」雪の表面に彫られた口が、への字型になっています。「北極に行けなくなっちまったら、復讐してやる時間だって、俺には残らねぇんだぞ。」
「そっか、そうだね。ゴメン。……絶対、北極に行こうね。」
切なくなってしまったので、きつねはそっと微笑みました。
スコップで雪をかき出して、時にはテコのようにして、きつねは雪だるまをなんとか手押し車に載せました。人間とは形の違う前脚で道具を使うのは、本当に大変でした。夜明けとともに始めて、終わったのは日が沈む頃でした。
一日も早く雪だるまを連れて行きたかったきつねは、暗いうちに、急いで出発しました。
「うおっ、景色が動いてらぁ、なんか変な感じだな。足もとが地面にくっついてないってのは、妙にスースーするぜ。まっすぐ立ってないと落ち着かねぇよ。」
雪だるまは慣れない感覚に戸惑いつつも、興味深そうに周りを眺めていました。手押し車の後ろからそれを見ながら、きつねは満足そうに頷きました。
北極星の方角を目指す旅は、楽しくも厳しいものでした。
泉のほとりで休憩をして、陽が昇る前に木陰を探し、行く手をふさぐ岩を避けて遠回りをしながら、長い道のりを辿りました。時にはケンカもありました。仲直りをした夜には、星を見上げて、語らいながら眠りました。
やがて、果てしなく広がる大地に辿り着きました。暗い雲が立ち込めて、雪に閉ざされた、一番厳しい冬の荒野です。ここを通り抜けなければ、目指す場所に辿り着くことはできません。意を決したきつねは、手押し車を力強く押して歩き出しました。
凍てつく向かい風は、誰も先に進ませてなるものか、と怒り狂っているかのような激しさでした。進む速度はあきらかに遅くなり、真っ白な雪嵐のせいであたりの様子も分からなくなりました。
歩いても歩いても、生きているものの気配はなく、食べるものも、飲み水も、身を隠すための木も岩すらも、何もありません。時間や方向の感覚もなくなり、歩き始めて何日経ったのか、どちらに北極星が出ているのかも見えません。
そして運の悪いことに、手押し車の車輪が地面のひび割れに挟まってしまいました。隠れる場所も何もない開けた荒野で、ついに、前へ進むことができなくなってしまったのです。
「こいつぁ、まずいな。誰か、助けてくれる奴がいるといいんだが。」
雪だるまはボタンを打ち上げました。
「ダメ、やめてよ。こんなに激しく雪が降ってんのよ、ボタンが埋もれて見つけられなくなっちゃう。」
「ボタンなんざ、どうだっていい。」
制止を振り切って次々に打ち上げ、最後のボタンまでどこかへ飛んで行きました。
けれど、近くには誰もいないようで、助けは来ませんでした。
「無理か……。こうなったら、もう仕方ねぇ。俺を置いて、来た道を帰れ。運が良ければ助かるかもしれねぇ。」
「そんなヒドいこと、できるわけないじゃん。」
打ちつける雪に全身を覆われながら、力なく、きつねは首を振りました。ずっと何も食べていない、力の入らない手で、もうびくともしなくなった手押し車を、必死に押し続けています。
「おい、もういいんだ! 俺は春になるまではここで生きていられる。だが、お前さんは死んじまうぞ。」
「だってさ、絶対に北極に連れて行くって、約束しちゃったもん。諦めたくないよ。」
雪だるまは、なんだか胸の奥が溶けてしまいそうな気持ちになりました。『恨まないで。』と言われながら、必ず復讐すると心に決めた自分に比べて、彼女のそれは、あまりにもあたたか過ぎる誓いでした。
そうだ。俺はお前と一緒に、北極へ行きたい。
願いもむなしく、凍った地面で挟まれ傷つけられた車輪はとうとう折れ、手押し車はひっくり返ってしまいました。
きつねはもがきながら、倒れた拍子にあたりの雪に埋もれた雪だるまに這い寄って、その体を起こそうとしました。けれど、小さくなったとはいえ、自分の背丈よりも大きな雪だるまだし、吹き付ける雪のせいですっかり重くなっています。力の入らない両前脚では、もう、とても起こすことはできそうにありません。手押し車も真っ二つに割れてしまっています。
きつねは顔いっぱいに絶望の表情を浮かべました。
けれど、雪だるまは。
「……お前さんの顔がこんなに近いのは、初めてだな。」
そんな彼女に、フッと微笑んでみせたのでした。
「北極行きは、本当にもういいんだ。じゅうぶん、遠くまで来たじゃねぇか。こんなに遠出できた雪だるまなんざ、そうそういねぇよ。楽しい旅だった。アイツへの土産話ができたし、俺は満足してるぜ。」
「ホントに?」
きつねは哀しそうな顔で尋ねました。
「ああ、本当さ。」
「北極に辿り着けなかっただけじゃなくて……復讐もできなくなっちゃったのよ。それでも、いいの。」
「復讐か。なんであんなにこだわってたんだろうな、俺は。別に、頼まれてもいねぇのによ。」雪だるまは苦笑を浮かべます。「今は……今の願いは、お前さんが生きてくれることだ。生きて、俺の分まで、日向ぼっこをしてくれよ。」
「そっか。でも、ごめんよ。それは無理みたい。もう、後ろ脚が動かないのよ。」あたたかい涙が、雪だるまの上にこぼれました。「だから、一緒にいるわよ。ずっと一緒に。」
「……なら、最後にキスしてくれねぇか。こんだけ寒いんだ。今さら、ちっとぐらい俺に触れたってかまやしねぇだろ?」
きつねは涙を前脚で拭って、雪だるまの冷たい口にキスをしました。
「こんなんじゃ足りないわよ。もっと近くに行ってもいいでしょ?」
それから、そっと体を寄せて、全身で彼を抱きしめました。
「おいおい、それはさすがに冷たいだろう。」
「平気よ。私には上等な毛皮があるんだからね。」
「そういえば、そうだったな。」
風はごうごうと荒れ狂っているのに、どちらも、穏やかに微笑んでいました。
雪だるまは優しい温もりを感じながら、じんわりと溶けていきました。
きつねは柔らかな冷たさを胸いっぱいに抱きしめて、そっと目を閉じました。
二つのいのちは、ゆっくりとおたがいの体温を交換しながら、眠りの中に落ちていったのです……。
嵐が止み、あたりがすっかり静かになったのは、それからだいぶ後のことでした。
吹雪の日と曇りの日を繰り返しながら、徐々に雪はとけていきました。やがて、雲の合間から光がさして、そこらじゅうを照らしました。
遠くまで続く広い広い荒野の真ん中には、壊れた手押し車が転がっています。
そのすぐそばに、薄紫の花がたたずんでいました。辺りには花などまったく見当たらないのに、なぜか、ぽつんと一輪だけ咲いています。穏やかな風にそよそよと揺れながら、まるで歌っているみたいでした。
その根元には、黒くて丸いサングラスが寄り添うようにありました。あたたかな春の陽を浴びてきらめきながら、いつまでもいつまでも、花と一緒に空を見上げているのでした。